令和五年神楽月 『阿弥陀聖衆来迎図』『柳橋水車図屏風』『風流やつし源氏・すま』『六歌仙』

今年は、11月になっても暖かい日が続いています。表題に「霜月」と書くのはふさわしくないかなと思っていたら、東博本館10室に鈴木晴信の『風流四季哥仙・神楽月』という作品が展示されていましたので、旧暦11月のもう一つの呼び名「神楽月(かぐらづき)」とすることにしました。

その絵は、父親が女の子を肩に担いで、家族で七五三の宮参りに向かう江戸風俗を描いたほのぼのとした作品です。上段に「杉たてる門はなけれと里かくら 是や宮井のはしめなるらん」という歌が記されています。

鈴木晴信『風俗四季哥仙・神楽月』江戸時代・18世紀 中判 錦絵

 

それでは、3室『阿弥陀聖衆来迎図(あみだしょうじゅらいごうず)』をご覧ください。鎌倉時代・14世紀の仏画です。

       『阿弥陀聖衆来迎図』鎌倉時代・14世紀 絹本着色

平安時代後期から鎌倉時代にかけて、阿弥陀如来を信仰する浄土信仰が盛んになりました。それは、釈迦が亡くなってから長い時が過ぎ、末法の世になると厳しい修行をしても救われないという思想が広まったからです。阿弥陀如来は、自ら全ての人々を救うという誓願を立てた仏様ですので、念仏すれば誰でも救われると考えられたのです。当時、末法は1052年に始まるという説が広く信じられていましたので、その頃から様々な阿弥陀如来の絵や仏像が作られました。この絵は、阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩を先導に、多くの菩薩を従えて臨終の死者のところへ迎えに来た図です。如来の額からは、右下にいるであろう死者の元へ光線が放たれている荘厳な光景です。でも、如来の周りでは笛や太鼓や琵琶など、さまざまな楽器を菩薩たちが楽し気に演奏しています。

 

琵琶はエレキギター、腰の鞨鼓はラテンの打楽器のようで、陽気なゴスペルソングが流れてきそうです。『阿弥陀経』というお経には、「その仏の国土(浄土)にはそよ風がわたって宝樹の並木や宝玉の羅網をゆらし、美しい音をたてます。風が吹くと一斉に百千種の楽器が交響するかのように音楽を奏でる」と書かれています。この絵の菩薩たちはいわばその予告編を実演しているのでしょう。そう考えてこの絵を見ていると、なんだか楽しくなって来ます。昔の人もきっとこの絵を見て楽しくなったのではと考えるのは、私だけでしょうか。

 

本館7室には、六曲一双の大きな屏風『柳橋水車図屏風(りゅうきょうすいしゃずびょうぶ)』が展示されていました。

     『柳橋水車図屏風』筆者不詳 安土桃山~江戸時代 六曲一双 
             紙本金地着色 重要美術品

 

まばゆいばかりの金地の上に、右から左へ大きな橋が架かっています。橋は上から俯瞰した図なのですが、手前の柳や水車は横から眺めたように描かれています。水平と垂直が同一平面上に大きく広がっているのですが、ちっとも不自然に感じません。尾形光琳国宝「八橋蒔絵螺鈿硯箱」を大きな屏風の平面に広げたような感じです。東博本館の特別4室では、画面上で板橋や燕子花を配置し、立体的な独自の硯箱をディスプレーに表示できるコーナーがあります。この絵もそんな蒔絵の硯箱にしてみたくなります。橋と柳を配置した絵は京都の宇治橋を表しているそうで、この時代流行した画題だそうです。絵の中に入り、まずは右手から橋をわたり、柳の風景を堪能してから水車を見て、手前の椅子に座ってまた全体を眺めると、絵の世界を回遊してきた満足感が得られます。

 

本館10室では、現在平成館で開催中の特別展「やまと絵ー受け継がれる王朝の美ー」とコラボした見立絵を中心とした浮世絵が展示されていました。その中から2点ご紹介します。

まずは鳥文斎栄之の『風流やつし源氏・すま』です。

鳥文斎栄之栄之筆『風流やつし源氏・すま』江戸時代・18世紀 大判 錦絵

スキャンダルを起こして兵庫県の須磨に蟄居した頃の、光源氏が描かれています。女性たちは皆江戸時代の風俗ですが、右上の源氏だけは平安時代の貴族の装束です。古典時代の人が江戸時代に身をやつして表れたことから、この種の絵は「やつし絵」とも呼ばれました。そういえば、以前NHK光源氏がそのままの格好で現代にタイムスリップしてきたドラマがありました。江戸時代の人々もそんなことを夢想したのでしょうか。少し暗い画面ですが、これは紅色等派手な色を敢えて使わない、江戸時代中期に登場した「紅嫌い(べにぎらい)」と呼ばれた技法です。落ち着いた抒情的な絵が多く、栄之や窪俊漫が得意としましたが、派手好きの江戸っ子にはあまり評判が良くなかったようで、長くは続きませんでした。

 

最後は闇牛斎円志(あんぎゅうさいえんし)の『六歌仙』、とんでもなくおもしろい絵です。

     闇牛斎円志筆『六歌仙』 江戸時代・18世紀 横大判 錦絵

 

円志は生没年不詳の謎の絵師です。清長風の美人群像が数枚伝わっていますが、それとはまったく異なる大胆な絵です。私も今回初めて見てびっくりしました。六歌仙紀貫之が『古今和歌集』の仮名序で取り上げた平安初期の6人の歌人僧正遍昭在原業平,文屋(ふんや)康秀,喜撰法師小野小町大友黒主のことで、歌聖として崇拝されました。円志は、「歌聖と言ってもただの人間じゃないか」と洒落のめしています。左の抱き合っている二人は、在原業平小野小町でしょう。他の4人が歌を作ろうとして呻吟しているのを、笑っているのでしょうか。視点を変えてみると、4人は抱き合う業平と小町のことが可笑しくて、笑いをこらえているようにも見えます。江戸時代の人々は、古典の世界を身近なものとして楽しんでいたのですね。

 

最後に、特別2室に展示されている『色紙三十六歌仙図屏風』に小野小町の像がありましたので、絶世の美女と言われた彼女の名誉のためにご紹介します。

   『色紙三十六歌仙図』江戸時代・17世紀 紙本著色・墨書 部分

 

☆このブログは、4~5週間ごとに展示作品が替わる東京国立博物館の国宝室と浮世絵の展示替えにあわせて更新しています。本館2階は12月5日(火)から24日(日)まで整備のため閉室となり、その後全館休館となりますので、次回は1月初めを予定しています。

 

参考文献 『全文現代語訳 浄土三部経』大角修訳 角川ソフィア文庫