令和五年神無月 『善財童子』、『大原御幸図屏風』、『役者似顔錦絵』、『渓山四時』

今日はまず、東京国立博物館本館11室の善財童子に会いに行きました。合掌して文殊菩薩の方を振り向く可愛らしい像です。運慶の孫弟子の康円が作った『文殊菩薩騎獅像および侍者立像(もんじゅぼさつきしぞうおよびじしゃりゅうぞう)』の中の一体です。

善財童子は「華厳教」という経典に登場する裕福な商人の子です。悟りを求めて文殊菩薩に教えを乞うと、53人の先生(善智識)を訪ねなさいと教えられ旅に出ます。彼が訪ねた53人の中には菩薩、神の子、修行僧、商人、先住民族ドラヴィダ人などいろいろな人々がいましたが、25人目の尼僧が青い目をしたヴァスミトゥラーという遊女に会うことを勧めます。尼僧が子供に遊女を紹介するというのはすごい話ですが、この遊女はあらゆる人々の求めにあわせて変身し「執着がない境地」に至らせるという力の持主でした。善財童子はその後も旅を続け、最後に普賢菩薩に会って悟りを開きます。日本の能「江口」も、江口の遊女が実は普賢菩薩の化身だったというお話ですが、華厳経の影響かも知れません。また、宮沢賢治の研究者の中には、『銀河鉄道の夜』のジョバンニのモデルは善財童子だと言う人もいます。

作品の全体像は次の通りです。

文殊菩薩騎獅像および侍者立像」康円作 重用文化財 奈良・興福寺伝来
鎌倉時代・文永10年(1273)  展示期間2023.9.23-12.24

次は、本館8室に展示されている、長谷川久蔵(1568-93)の『大原御幸図屏風(おおはらごこうずびょうぶ)』です。

「大原御幸図屏風 」6曲1隻  長谷川久蔵筆  安土桃山時代・16世紀 
展示期間2023.9.1-10.15

描かれているのは、源平戦乱の後、文治2(1186)年、京都大原の寂光院後白河法皇建礼門院を前触れなく訪れた場面です。建礼門院平徳子)は清盛の娘で、後白河法皇の息子高倉天皇中宮でした。平家が敗戦した壇ノ浦で入水後、救い出された彼女は出家し貧しい生活を送っていました。門院にとって後白河法皇は、義仲や義経を操って平家滅亡に向けて暗躍したいわば仇敵にあたります。

屏風の大画面の中で、二人の姿は小さく描かれています。しかし、よく見ると二人とも穏やかな表情をしています。長く激しい戦乱が終わり、恩讐を超えてひとときの平和を楽しんでいるかのようです。

長谷川久蔵は長谷川等伯の息子で、その画風の清雅さは父に勝ると言われましたが、26歳の若さで亡くなりました。父の等伯狩野派の牙城に激しく挑みましたが、狩野派との交流もあったと思われる久蔵は、戦いを好まぬ穏やかな青年だったのではないでしょうか。法皇と門院の穏やかな表情を見て、ふとそんなことを考えさせられました。

 

本館10室で面白い浮世絵版画を見つけました。勝川春好(しゅんこう)の『江戸三芝居役者似顔錦絵』です。

「江戸三芝居役者似顔錦絵」勝川春好筆 横大倍版 錦絵 江戸時代・寛政3(1971)年 
展示期間2023.10.3-11.5

鳥居清長の芝居番付と並んで同じような構図の作品ですが、芝居番付は鳥居派の専売品ですので、これは芝居番付に似せて作った錦絵です。鳥居派の芝居番付が墨一色で役者の姿も様式化されているのに対し、春好の師匠勝川春章は役者似顔絵の先駆者でしたので、この絵も本物の役者に似せて描いているようです。絵の横に名前が記されています。

中央下部にしゃがんでいる男は「市川白猿(はくえん)」、五代目市川團十郎(1741-1804)の俳名です。右上の勘亭流の文字では市川蝦蔵と書かれています。彼は父の四代目ほどの役者ではないと謙遜して海老蔵ではなく蝦蔵と自称しました。蝦蔵の絵の真上には、今は香川照之が名乗っている市川中車が見えます。中車も俳号で、左上の勘亭流の文字では市川八百蔵(三代目1747-1819)と書かれています。二人の横に立つ女形は瀬川路考(ろこう、俳名)、当時ナンバーワンの女形、三代目 瀬川菊之丞(1751-1810)です。おもしろいのは、右上端に描かれている人相の悪い役者は三代目大谷鬼治(1759–96)です。後に写楽が描いた有名な『三代目大谷鬼治の江戸兵衛』のモデルです。こういう癖のある脇役は大好きです。

11月は歌舞伎の1年の始まりの月。これから1年、このメンバーで務めますという「顔見世興行」があります。この錦絵を買った江戸っ子は、贔屓の役者の姿を思い描いて楽しんだことでしょう。

 

最後に本館18室(近代美術)を通ったら、川合玉堂(1873~1957)の『溪山四時(けいざんしじ)』に思わず眼を奪われました。まるで3D画面のように奥行きが感じられたからです。

「溪山四時」6曲1双の内左隻 川合玉堂筆  昭和14年(1939) 展示期間2023.9.10-10.22

それも、単に遠近法を使っているだけでなく、屏風の凹凸を利用して、各面の奥への折り目に絵の遠景が来るように構成されているのです。玉堂は、きれいだけれど毒にも薬にもならない絵を描く画家と思っていたのですが、写実もここまで来ると魔術です。こういう絵では、絵の中の人物になり切って画面の中を旅することこそ醍醐味です。ちょうど、左隻の右端の小道を二人の親子らしい人物が歩いています。彼らと一緒に雄大な風景の中を散策しましょう。

 

☆このブログは、4~5週間ごとに展示作品が替わる東京国立博物館の国宝室と浮世絵の展示替えにあわせて更新しています。次回は11月10日頃を予定しています。

 

参考文献 中村元『現代語訳大乗仏典5 華厳経 瑜伽教』東京書籍