令和六年弥生 東京国立博物館「博物館でお花見を」

東京国立博物館では3月12日から4月7日まで、「博物館でお花見を」をテーマに桜にまつわる作品をたくさん展示しています。まだ花は咲いていませんが、展示室の中でお花見に行ってきました。

 

お花見の前に、3月3日は桃の節句、本館14室では毎年恒例の特集「おひなさまと日本の人形」が展示されていますので、ちょっとのぞいてきました。そこでびっくり、今やひときわときめく人、大谷翔平のボブルヘッド人形によく似たお顔の人形がありました。

『嵯峨人形 首振り』江戸時代・17世紀 木彫、彩色

これは、江戸中期から幕末まで京都嵯峨のあたりで作られた「嵯峨人形」と言って、木彫に金泥極彩色をほどこした美しい人形です。京都の仏師たちが余技で作ったと言われており、首を振ったり舌を出したりするものもあったそうです。この人形も「首が前に傾くごとに舌が飛び出る仕掛け」になっているとのことで、実際に見てみたいものですね。大谷のボブルヘッド人形はさすがに舌は出さないでしょうが、洋の東西を問わず首振り人形は見る者に親しみを感じさせます。

 

さて、12日に展示替えがあった本館10室に行き、さっそく浮世絵でお花見です。江戸の花見の名所と言えば、上野、吉原、墨田川堤、飛鳥山等が有名でした。

まずは菱川師宣が描いた、上野の花見から見ていきましょう。

『浮世人物図巻 上巻(部分)』伝菱川師宣 江戸時代・17世紀 絹本着色

上野の桜は寛永寺を創建した天海大僧正が、江戸時代初期に吉野の桜を移植したのが始めと言われています。浮世絵のパイオニア師宣が描いた江戸っ子の花見は、現代とあまり変わらないようです。絵の左の方で酔っぱらって踊っている人々の中に、「見返り美人」に似た女性も見えます。

次は吉原です。

『東都名所・吉原仲之町夜桜』歌川広重 江戸時代・19世紀 錦絵

吉原の桜は、花見のシーズンだけ桜の木を植樹したものです。江戸の郊外の田んぼの中に人工的に作られた吉原は、季節ごとに様々なアトラクションを繰り広げる大人のディズニーランドのような町でした。広重が描く仲の町は吉原のメインストリートで、高級な引手茶屋が軒を並べていました。遠近法を強調した街並みの上に大きな月が掛かり、桜並木の前を花魁(おいらん)が歩いていきます。

 

次は、浅草から見て東の方角、墨田川の向こうにあった三囲神社の桜です。と言っても桜より美人が中心の浮世絵版画、江戸後期に活躍した浮世絵師、歌川国貞(三代歌川豊国)によるシリーズ『江戸名所百人美女』からの一枚です。

『江戸名所百人美女・三囲』歌川国貞(三代豊国)1857年 錦絵

中央に国貞が美人画を、画面左上の四角い枠(小間絵)内に歌川国久が江戸の名所を描いています。美人画と風景画を一枚に収めたお得な版画です。国貞は生涯に1万点以上の作品を描いたといわれます。美人と小間絵の風景を組み合わせたら、いくらでも作品ができると版元が考えた手抜きのシリーズかと思ったのですが、この絵をみるとそうでもないようです。江戸時代、墨田川はたびたび氾濫したのでだんだん堤防が高くなり、三囲(みめぐり)神社の鳥居も浅草からは上の部分だけちょこんと見え、江戸っ子たちはそれを風流と感じたようです。この絵でも、美人の後ろの男は傘の向こうに、三囲神社の鳥居のように、ちょこんと左腕だけを覗かせています。

 

10室には江戸時代の着物も展示されていますが、残雪に桜が咲く嵐山の風景を刺繍で描いたものすごい作品が展示されていました。

『小袖 紅縮緬地嵐山風景模様』江戸時代・19世紀 縮緬(絹)、刺繍

こんな真っ赤な着物を、どんな人が着こなしたのでしょうか。江戸中期の京都の商家の女性は、貴族や大名の婦人たちと着物で張り合ったと伝わりますが、色彩の魔術師マティスもびっくりするような派手好みです。しかし、刺繍された風景には典雅な趣があり、じっと見ていると着物というより絵画を鑑賞しているような気もしてきました。

 

本館1階12室では、吉野山の桜を蒔絵で描いた渋い小箪笥がありました。

吉野山蒔絵小箪笥』梶川作 19世紀 木製漆塗

表面には金銀の蒔絵や切金を使って流水と桜の巨木を描いています。桜の枝は天板に及び、引き出しの把手には桜の花をかたどった銀の金具が用いられています。漆黒の闇の中に浮かび上がる黄金の桜は、豪華な夜桜見物に誘ってくれます。

 

江戸、京都、吉野と花見見物を終えて、次は国宝室で『群書治要(ぐんしょちよう)』を観てきました。

『群書治要 巻二十六』平安時代・11世紀 彩箋墨書

『群書治要』は治世の参考になる文章を集めて唐の時代に作られた文集ですが、中国では宋の時代に散逸し失われたとのことです。日本には奈良時代にもたらされ、東博所蔵の作品は平安時代中期の作で、現存する最古の写本とのことです。元は公家の九条家に伝わったもので、昭和20年の空襲の際に焼け残った土蔵の中に保管されていたものだそうです。展示されているのは巻二十六、冒頭に「魏志下」の文字が見えます。漢文を訓読する際に字の四隅に朱で付けられた「乎古止点(をことてん)」やフリガナが見えますので、奉納されるための経典などとは違い、実際に読まれていたことがうかがえます。まさに長い年月を読みつがれ生き残った貴重な国宝ですね。

 

最後に、平成館の考古展示室で小さな蔵王権現像を観てきました。

『押出蔵王権現像』奈良県天川村 大峯山頂遺跡出土 平安時代・10~12世紀

蔵王権現は日本の山岳信仰の中で生まれた独自の権現で、三つ目で忿怒の形相をし,右手を高くあげて三鈷杵 (さんこしょ) を持ち,左手は腰に付け,左足は大地を踏み,右足は空中に踊らせています。吉野を中心に恐ろしい姿の蔵王権現像がたくさんありますが、この像は何ともかわいらしい作品です。鍍金されていますが頭部には緑青が青く浮き出、髪を染めたやんちゃな若者のようです。空中につるされ、上方から照明が当てられ下に影が映っていますので、さっそうと空中を翔けているようです。

 

愛らしい蔵王権現に見送られて、東博を後にしました。次回は今月末、本物の花を観に上野に来る予定です。