令和五年葉月 国宝「円珍戒牒」、狩野探幽他「帝鑑図屏風」、春信「舟中蓮とる二美人」

東京国立博物館本館2階では、今週2室(国宝室)と10室(浮世絵)で展示替えがありました。今回は、2室から国宝『円珍戒牒』、8室の狩野探幽他『帝鑑図屏風』、10室の春信『舟中蓮とる二美人』を取り上げます。

猛暑にもかかわらず、たくさんの外国人が日本美術を楽しんでいました。聴いたことのない外国語のおしゃべりを聴きながら、どこの国から来たのだろうと想像しました。

 

国宝「円珍戒牒」(円珍関係文書の内) 平安時代・天長10年(833) 
展示期間2023.8.1~8.27

円珍(814~891)は平安時代の僧で、母親は空海の姪にあたるとされています。唐に留学後、園城寺三井寺)の別当(長官)を務め、後に最澄が開いた延暦寺のトップ、第五代目の天台座主になりました。空海最澄の両方に関係しているすごい人物で、没後朝廷から智証大師の称号を贈られています。東博には、今回展示されている「戒牒」を含め、円珍関係の文書が8点あるそうです。「戒牒」というのは、正式に僧侶として認められたことを証明する文書で、円珍は15歳の時に比叡山で修業を始め、19歳の時に当時の座主から戒を授かりました。この文書の冒頭には「近江国比叡山延暦寺菩薩戒壇」とあり、この写真より左には「天長十(833)年四月十五日」と日付が記されています。なんと今から1190年前の文書です! 書いた人の名はわかりませんが、鋭くきちんとした格調のある筆跡で、もらった人はありがたみを感じる証明書だと思います。当時は、僧侶の資格は国が管理していましたので、最高行政機関である太政官の印が15もおされています。なお、東博三井寺にある「円珍関係文書」は今年の5月にユネスコの記憶遺産に登録されました。これは国内では8件目とのことです。

 

次は8室の、狩野探幽他筆「帝鑑図屏風」です。

狩野探幽他筆「帝鑑図屏風」の内左隻 江戸時代・17世紀 紙本墨画着色 
展示期間2023.7.19~9.3

帝鑑図とは、中国の歴代皇帝の善行や悪行を描いた絵画で、為政者の戒め江戸時代・17世紀 紙本墨画着色とするものです。本作品は、江戸時代初期に狩野派、長谷川派、海北派の絵師が描いた絵を屏風に貼った貼交(はりまぜ)屏風で、右隻に善行6図、左隻に悪行6図を配しています。善行よりは悪行の方が面白いのが常ですので、左隻の一番右側の「戯挙烽火(ぎきょほうか)」をご紹介しましょう。

紀元前8世紀の周の幽王には褒姒(ほうじ)という名の愛する妃が居たのですが、彼女は笑ったことがありませんでした。ところが、あるとき敵の来襲を知らせる狼煙(のろし)があがり家臣たちがあわてて駆けつけるようすを見て、初めて笑ったのです。それを喜んだ王が、その後も彼女を笑わせるためにたびたび嘘の狼煙をあげたので、本当に敵が攻めてきたときには誰も駆けつけず、王は殺され、王朝は滅んだというお話です。イソップのオオカミ少年を壮大にしたような話ですが、実話だったようです。狩野派の長老として探幽らを教育した狩野興以(こうい)が描いたこの作品は、褒姒を喜ばせるために幽王が狼煙を上げさせた場面です。馬に乗って駆け付ける家臣が描かれていますので、この時二人はまだ幸福の絶頂だったのでしょう。それとも、これは敵の来襲なのでしょうか? だとすれば、のんびり座っている二人は哀れです。

 

最後は鈴木晴信筆の浮世絵「舟中(せんちゅう)蓮とる二美人」です。

鈴木晴信筆「舟中(せんちゅう)蓮とる二美人」江戸時代・明和2年(1765) 
展示期間2023.8.1~8.27

浮世絵版画は、初めは墨一色の墨摺り絵でしたが、三色程度の色を使う紅摺絵(べにずりえ)を経て、明和2年(1765)に初めて本格的な多色刷り版画「錦絵」が登場しました。本作品はその記念すべき年の作品です。江戸時代は旧暦でしたので、一カ月が30日からなる「大の月」と、29日からなる「小の月」があるうえ、毎年順番が変化しました。そこで、絵の中に大小の月を示した絵暦を配ることが流行しました。その絵暦グループのリーダーだった大身の旗本大久保巨川(きょせん)が、絵師に鈴木晴信を起用して作らせた多色摺版画が錦絵の始まりとされています。一般に販売される絵ではなかったためか、この絵には画中には「巨川」の名が記され、春信の名はありません。東博の解説には「蓮を採る娘の帯に『明和二乙トリ 大弐弎五六八十』の文字が確認され、明和2年の大の月を記した絵暦であることがわかります」とあります。なるほど、娘の帯には空摺(からずり)の凹凸で文字が描かれているのはわかるのですが、どれがどの字に相当するのか、私にはよくわかりませんでした。また、この作品は水性の絵具を使っているため色が褪せてしまっているのですが、本来は水面は青く、蓮の花は鮮やかな薄紅色だったはずです。

その代わりと言ってはなんですが、先月江戸川区一之江にある霊廟の池で撮影した蓮の花をご覧いただきましょう。

江戸川区教育委員会の案内板によれば、2,000年前の蓮の種を発芽育成した大賀蓮を移植したものだそうです。今月の東博の展示でも、蓮の花を描いた浮世絵が何点かありました。江戸時代の人たちも夏の風物詩である蓮の花を眺めて、しばし猛暑を忘れたのでしょう。

 

☆このブログは、4週間ごとに展示作品が替わる東京国立博物館の国宝室と浮世絵の展示替えにあわせて更新しています。次回は9月1日頃を予定しています。