特別展「運慶 祈りの空間」を観に、東京国立博物館に行ってきました。

本館中央の大理石の階段の奥の特別5室に、興福寺北円堂(ほくえんどう)の内部が再現されていました。

北円堂は712年に建立されましたが平家の南都焼打ちで焼失し、1210年に再建されました。そのとき運慶とその息子たちが七体の仏像(弥勒菩薩座像、無著・世親菩薩立像、四天王立像)を作り、現在はすべて国宝に指定されています。今回借りた音声ガイドには、ナレーターの高橋一生と東博の研究員の対談が含まれており、鑑賞するのにとても役立ちました。解説を聴きながら無著と世親の兄弟の菩薩像を間近で見ると、仏像というより生身の人間のように感じられました。二人は4世紀ころにインドに実在した僧ですので、運慶たちも他の諸像とは違う表現をめざしたのかもしれません。一通り見て回ったあと会場の隅で、音声ガイドに収録された興福寺の声明を聴きながらぼうっと立っていると、何ともいえない幸福な気分になりました。撮影不可のため、画像をご紹介できないのが残念です。
本館2階では、国宝の「平治物語絵巻六波羅行幸巻」が展示されていました。運慶展の仏像同様、鎌倉時代13世紀に当時最高の絵師集団によって作られた傑作です。この巻では、源氏方に幽閉された二条天皇が女装して内裏をひそかに抜け出し、平家の六波羅邸に迎えられるまでが描かれています。順を追って見ていきましょう。
深夜、二条天皇は牛車に乗って御所から抜け出します。門で警護の武士が怪しみ御簾を上げてのぞきこんでいます。右に立つ側近が「女房の外出だ」と言って助けます。天皇は17歳だったせいもあってか、女装は見抜かれず無事通り抜けました。

途中、平頼盛・重盛が来て、牛車は無事平家方の武士たちに迎えられます。

つづく場面は、二条天皇の養母で当時の陰の実力者だった美福門院が、六波羅に向かっているところです。天皇と彼女が平家の六波羅邸に移ることにより、平家の勝利が確実となったのです。

次は、六波羅邸の門前です。公卿・殿上人たちの牛車や従者がひしめき、平家の武士たちは天皇と門院を屋敷に迎え、これからの合戦を心おきながら戦えると安堵した表情です。

本館3室では、2枚の仏画が眼を引きました。1枚目は重要文化財の「大威徳明王像」(平安時代・12世紀)です。大威徳明王は六つの顔六つの脚で、水牛に乗っています。彩色が良く残っていて、截金文様も美しい平安仏画の名品です。

次の仏画は「春日赤童子像」(室町時代・16世紀)です。護摩をたく密教の儀式(修法)で使われたのか、画面がほとんど真っ黒です。ですから、ほとんどの人が素通りして行きます。でも、じっくりと肉眼と短眼鏡を交互に使いながら見ていくと、徐々に童子の姿が見えてきます。赤童子は密教の制吒迦(せいたか)童子がもとになっているため、上半身は裸で首飾りや腕輪を身に着け、右手に杖をつきその上に左手を乗せ、しかめっ面で正面を見据えています。ふっくらとした上腕が見えてきて思わず微笑んでしまいましたが、周りの人からは奇異に見えたかもしれません。私にとっては、これが古い仏画を見るときの醍醐味の一つです。画像は露出を補正しましたので、その姿がご覧いただけるでしょう。首飾りや腕輪が見えますか。

次は足利尊氏が清水寺に奉納した、自筆の「願文(がんもん)」(南北朝時代・1336年)です。冒頭に「この世は夢のことくに候、尊氏に・・・」とあり、自らの魂が来世で救われることと、弟直義の幸福を祈っています。彼ら兄弟は後に戦い、弟は失意のうちに死んでいます。しかし、これを書いたときには、そんな将来は予想もしていなかったのだろうという、誠実さを感じさせる文字です。
本館10室では、北斎の長女お美代の夫(後に離縁)だった柳川重信の肉筆画「縁先美人図」が印象に残りました。東博の解説に、「北斎よりも同時期の歌川派や溪斎栄泉の影響が指摘されている」とありました。この絵の描かれた江戸後期は、北斎や歌麿風の美人より、顔や足の大きいリアルな女性が多く描かれました。はしょった着物が少し大きいようにも見えますが、なかなかきれいな作品です。お美代と重信の間に生まれた放蕩息子が晩年の北斎を苦しめましたが、その頃には二人とも亡くなっていたようです。

今回最後にご紹介するのは、本館1階18室に展示されている高村光太郎の「老人の首」(大正12年(1923)・銅像)です。最近光太郎の評伝を読む機会があって、彫刻作品の実物を見たいと思っていました。

光太郎は詩人でもありましたが、本業はあくまで彫刻だと書き残しています。詩は自分の彫刻が過度に情緒的にならないようにするための、安全弁だと述べています。そして、彫刻について「能の彫刻美」というエッセイに、次のように記しています。
彫刻は動かないものと思はれてゐる。実は動くのである。彫刻の持つ魅力の幾分かは此の動きから来てゐる。もとより物体としての彫刻そのものが動くわけはない。ところが彫刻に面する時、観る者の方が動くから彫刻が動くのである。一つの彫刻の前に立つと先づその彫刻の輪郭が眼にうつる。観る者が一歩動くとその輪郭が忽ち動揺する。彫刻の輪郭はまるで生きてゐるやうに転変する。思ひがけなく急に隠れる突起もあり、又陰の方から静かにあらはれてくる穹窿もある。その輪郭線の微妙な移りかはりに不可言の調和と自然な波瀾とを見てとつて観る者は我知らず彫刻のまはりを一周する。・・・元来動かない筈の彫刻といふ物体に動きを感ずるところに彫刻の持つ神秘感の物理的根拠がある。
確かに、「老人の首」も正面から見るだけでなく、少し横に動いてみると別の表情が見えてきます。

さきほどの運慶の仏像も、お寺で見るときと違い博物館では横からも後ろからも見ることができ、新しい美の発見がありました。仏像は信仰の対象だから、そんな見方はいけないという考えもあるでしょう。しかし、通常お寺から出るときにお坊さんが魂を抜く儀式をしており、仏さまもどこから見ても良いよということでお出ましになっているはずです。江戸時代以前から行われている出開帳も、そうだったのではないでしょうか。
東博を出た後、今回は巣鴨駅近の都立染井霊園にある高村光太郎の墓に寄ってきました。この高村家の墓石の側面には、高村光雲、光太郎、智恵子の戒名が並んで刻まれていました。

手を合わせた後、ちょっと寂しい墓石を見て、生花を買ってくるべきだったと反省しました。染井霊園のある地は昔は染井村と呼ばれ、ソメイヨシノの発祥の地とされています。来春の桜の咲くころに、生花をもってまた来ようと思いました。
なお、染井霊園の隣にある慈眼寺の墓地には、芥川龍之介と司馬江漢の墓がありました。二人の墓に詣でた後、帰宅の途に就きました。











































































