令和六年卯月 「法然と極楽浄土」展ほか

今日から東京国立博物館で、「特別展 法然と極楽浄土」が始まりました。

修理後初公開の「国宝 阿弥陀二十五菩薩来迎図」ほか、すばらしい作品が並んでいました。私が感動したのは、巨大な国宝「綴織當麻曼荼羅」を見られたことです。褪色が進んでいて、図録の画像を見ても何が描いてあるのがよくわからないのですが、単眼鏡で細部を確認してから全体を見ると、極楽浄土が浮かび上がってきます。幸い展示初日のせいか人も少なく、15分ほどこの絵の前で見上げていました。特別展のためほとんどの作品が撮影禁止でしたが、江戸時代に法然の生誕地(香川県)に建てられた、浄土寺の「仏涅槃群像」だけは撮影可でした。若冲の作品に似た白象のいる、動物群像を撮ってきました。

本館2階の国宝室には、聖武天皇が書いたと伝わる経典『賢愚経残巻』が展示されていました。聖武天皇は「長屋王の変」に続く政変やそれに続く天然痘の大流行に悩まされ、5年間も彷徨するといった不安な人生を送った方ですが、この経典の書は雄渾で迷いが感じられません。平安な世への願いを込めて、一心に書かれたのでしょう。

国宝 賢愚経残巻(大聖武)伝聖武天皇筆 奈良時代・8世紀 

7室には岩佐又兵衛の「故事人物図屏風」が展示されていました。画題は明らかではないとのことで、一見何をしているのかよくわからない絵です。

故事人物図屏風 伝岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀 

案内板には能の「蟻通し」が候補の一つと書いてあり、調べてみると次のようなお話でした。平安時代歌人紀貫之が馬に乗ったまま蟻通神社の前を通り過ぎようとすると、たちまち曇り雨が降り、乗っていた馬が倒れてしまいます。そこで、通りかかった里人に神の名を聞いて歌を詠んで献上すると馬は回復します。実は里人は、蟻通明神の神霊だったという伝承です。その話を知って改めてこの絵を見ると、合点がいくような気がします。又兵衛は昔の登場人物を当世風に描いたので「浮世絵の祖」とも呼ばれますが、左隅上のしもぶくれの顔の女性たちを見ると、まさに又兵衛ワールドです。

上記部分図

8室には岸連山という画家の「猪図」がありました。遠くから見ると単なる黒いかたまりに見えるのですが、近くによると疾走する猪の毛が竜巻のように渦を巻いています。あまり速いので、向こう側が残像として見えているような気さえします。とてもリアルな絵です。最近は猪が街中に出て来て迷惑をかけることがありますが、江戸時代もやはりそうだったのでしょうか。

猪図 岸連山 江戸時代・19世紀

10室にも、歌川国芳による猪を退治する少年の絵がありました。

本朝水滸傳豪傑八百人一個・大谷古猪之助 歌川国吉筆 江戸時代・19世紀 錦絵

主人公は古猪之助(こいのすけ)という少年ですが、「鬼滅の刃」にも猪の面をかぶった伊之助という登場人物がいましたね。

 

猪続きでは味気ないので、広重の藤の花を眺めて帰ることにしました。

名所江戸百景・亀戸天神境内 歌川広重 江戸時代・安生3年(1856)

上野の桜も終わりつつあります。次は藤の花の季節です。