令和五年卯月 国宝「普賢菩薩像」他

東京国立博物館(トーハク)に行ってきました。今週展示替えのあった作品の中から、三作品を取り上げます。最初は本館国宝室の『普賢菩薩像』です。国宝指定絵画第1号、トーハクの列品番号もA-1です。5月7日まで展示されています。

普賢菩薩像 平安時代・12世紀 絹本着色 国宝

法華経によると、普賢菩薩は東方より多数の菩薩とともに釈迦如来のもとを訪れ、末法の世において法華経信者の守護者となることを宣言します*1。六本の牙を持つ白い象に乗って姿を表わした一瞬を表現したものと思われます。白象に比べて菩薩の姿は大きいのですが、不思議な浮遊感があり、象も重そうにはしていません。蓮華座のうえに座る菩薩の肌は白く、暗黒の背景から浮き上がって見え、静かに宙空を漂っているかの様です。頭上には花の天蓋が下がり、周囲には散華が静かに舞い落ちています。法華経は大乗仏典の中でも女性の救済を明確に説いた経典であったため、普賢菩薩もまた平安中期以降貴族の婦人たちの信仰を集め、いくつかの仏画、仏像が制作されています。その中でも、トーハク所蔵の「普賢菩薩像」は、繊細優美かつ耽美的であり、最高傑作と思います。昨年修理を終えたとのことで、細部が良く見えるようになりましたが、幾分暗くなったように感じたのは気のせいでしょうか。それにしても、総合文化展(常設展)で写真を撮りながらゆっくり鑑賞できるのは、ありがたいことです。

 

次の作品は、本館3室で展示されている『十六羅漢像(第一尊者)』重要文化財です。霊雲寺というお寺の寄託品のようですが、うれしいことに撮影禁止のマークはありませんでした。

十六羅漢像(第一尊者) 鎌倉時代・14世紀 絹本着色 東京・霊雲寺 重要文化財

左上に「第一賓度跋羅堕闍尊者(だいいちびんどばらだじゃそんじゃ)」といかめしいお名前が記されていますが、一般には「びんずる様」と呼ばれています。そういえば、先日善光寺から盗まれた「びんずる様」が戻ったとのこと、良かったですね。羅漢は釈迦の弟子のことで、その中でも優れた16人が死の間際にある釈迦から、この世に残って仏教を守り伝えることを託されたと言われています。仏や菩薩に比べて人間に近いせいか、たくさんの絵や彫像が作られ庶民にも親しまれてきました。この絵の第一尊者は、顔はいかめしいのですが、下の方では子供に手習いを教える弟子の姿が描かれ、どこにでも居るお寺のご住職のようです。背景には山水の水墨画が見えます。日本で水墨山水画が本格的に制作され始めたのは15世紀と言われていますので*2、14世紀に描かれたこの絵には中国のお手本があったのかもしれません。

 

最後は本館10室、北斎の『冨嶽三十六景・御厩河岸より両国橋夕陽見(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ)』です。

葛飾北斎  冨嶽三十六景・御厩河岸より両国橋夕陽見 江戸時代・19世紀

御厩河岸(おんまやがし)とは、現在の蔵前一丁目の隅田川岸のことで、ここに幕府の馬小屋があったことから名づけられました。現在は厩橋がかかっていますが、江戸時代は対岸の本所まで渡し舟が出ていたそうです。この絵は、その隅田川東岸の本所の側から、西の方角を見た夕方の光景です。画面左に見える両国橋の上には、黒い点々が見えます。これは人の頭だそうです*3。これから打ち上げる花火見物に集まった人々の様です。そういえば、橋の下には見物客を乗せているのでしょうか、たくさんの船が浮かんでいます。しかし、渡し舟に乗る人々は関心がないようです。船頭はちょうど日が沈んで黒いシルエットになった、富士の方を見ています。船首には深く編み笠をかぶった男が、ひざを抱えて座っています。「花火見物など、あっしには関わりのないことでござんす」とでも言いそうです。ここの渡し舟は、明治5年の転覆事故で多数の死者が出たこともあって廃止されたそうです。江戸時代にも事故があったようです。そう言えば、この船の下だけ波が渦巻いています。北斎は、西方浄土に向かう三途の川の渡し船に見立てたのでしょうか。それにしても、静かで美しい絵です。

 

*1:大角訳『法華経角川ソフィア文庫p.400

*2:山下・高岸監修『日本美術史』美術出版社p.144

*3:日野原『冨嶽三十六景』岩波文庫p.116